『エンジニア』として生きる

紆余曲折を乗り越えた『エンジニア』がブログをはじめました。

サービスの立ち上げと終了に携わるということ

エンジニアとしてのお仕事

平日の日中は、事業会社でエンジニアリングマネージャーを名乗り、開発組織のマネージャーを担当している。
役割的にも自身の技術力的にも、実務としての開発業務をやってしまうと組織としての不具合が起きるので、マネジメント業務に専念しようと決めた。
それでも、それなりにエンジニアをやってきたこともあったり、持っている知識が陳腐化したり技術に疎くならないようにと考え、複業でフリーランスの週末エンジニアを開業した。
今日は、複業で最近携わっているお仕事について書いてみることにした。

複業は何をやっているか?

複業のフリーランスでは、一応

なんかを対応可能案件としてお受けしている。
今までお受けした案件としては、DB移行、エンジニア採用の面接代行、若手エンジニアの外部メンターなんかを細々とやってきた。

最近お受けしたお仕事

今回、約1年ぶりにブログを書こうと思ったきっかけは、最近お受けしたお仕事でちょっとしたエモい気持ちになったからだ。
最近お受けしたお仕事は、サービスサイトの閉鎖対応。
何を隠そう、以前、自分自身がPdMとして立ち上げに大きく携わっていたサービスサイトの閉鎖を仕事としてお受けすることになったのだ。

何故、サービスを閉鎖するのか?

もともと、経営判断として事業縮小の判断がされたため、新しいチャレンジを!と考え私はPdMを離れることにした。
純粋に事業ドメインに対して選択と集中の意思決定されたのだと思う。

このサービスは、運用コストに対して売上もそれなりに確保できていた。
今回、事業撤退の判断が下った一つの要因として、私自身がいなくなったことも少なからず影響しているのだろうと思う。
私は、純粋な技術力としては決して高いものを持っているわけではないが、小さな企業において企画・開発・マーケティング・プロモーションを担当し、更には営業までやってしまうという役回りは、それなりに重宝されていたと思う。
そんな中、唯一のエンジニアがいなくなり、外部委託で食いつないだりしていたが、ムリがたたり今回の決断に至ったのだと思う。

サービス閉鎖というお仕事

サービスを離れて新しい環境に移ったあとも、それなりに良好な関係を保てていたため、お仕事の依頼が来た。
まずは、サービス閉鎖にあたり何から始めればよいかの相談からだった。 システム屋のお仕事よりも前に、契約中のお客様の状況確認、利用規約を元にしたリーガルチェックサポート、顧客対応も含めた撤退方針の策定などなど、すり合わせから初めた。
この時は、まだ特別な気持ちは湧かず、至って冷静に淡々とお仕事として関わることが出来ていた。

サービス終了を目前にして

ちょっとしたエモい気持ちに満ち溢れている。
数年前に間違いなく携わっていたという思い、開発時の緊張感や、ヒリヒリ感。
経営層やビジネスサイドと、もはや関係修復不可能なのでは?という程ぶつかった。
そんなことを乗り越えての、サービスオープンの時の達成感、感動、開放感。
立ち上げ後のビールの旨さ。
初受注の日の喜び。
受注後のビールの旨さ。
その一つ一つが、割と鮮明に思い出されて、ちょっとエモい感じになっている。
自分たちの手で作り上げたもの、自分の手で幕を下ろすということに。

これからについて

複業を初めた当初の目的とはズレ初めてきているが、それはそれで楽しめているから良いのではと思っているのも正直なところ。
ただ、ちょっとは実際の開発にも触れていこうと思っている。